茂陵の劉郎 秋風の客
夜 馬嘶を聞き 暁 跡無し
画欄の桂樹 秋香を懸け
三十六宮 土花碧し
魏官 車を牽きて千里を指す
東関 酸風 眸子を射る
空しく 漢月を将ちて宮門を出づ
君を憶ふ清淚 鉛水の如し
衰蘭 客を送る咸陽の道
天もし情有らば 天も亦老いん
盤を携へて独り出づ 月荒涼
渭城 已に遠く 波声細し
詩句原文:
「金铜仙人辞汉歌」
李贺
茂陵刘郎秋风客,夜闻马嘶晓无迹。
画栏桂树悬秋香,三十六宫土花碧。
魏官牵车指千里,东关酸风射眸子。
空将汉月出宫门,忆君清泪如铅水。
衰兰送客咸阳道,天若有情天亦老。
携盘独出月荒凉,渭城已远波声小。
漢詩鑑賞:
元和八年、李賀二十七歳。この年、彼は一つの苦渋(くじゅう)の決断を下した。奉礼郎(ほうれいろう)の官職を辞し、長安を離れ、故郷の昌谷(しょうこく)へ帰るという決断である。奉礼郎は九品の微官(びかん)で、君臣(くんしん)の位牌(いはい)の管理、祭祀(さいし)の儀式(ぎしき)の補佐(ほさ)を司り、終日鬼神(きしん)の祭祀にかかわる仕事に従事した。これは心天よりも高き詩人にとって、精神的な流刑(るけい)に等しかった。三年の任期を満了し、彼はついに決心を固め、この鬱々(うつうつ)として志を得ぬ京師(けいし)での日々に終止符(しゅうしふ)を打つことにした。京を離れる途中、彼は洛陽を通った。ここはかつて後漢(ごかん)の帝都であり、また魏(ぎ)の明帝(めいてい)曹叡(そうえい)が人をやって漢宮(かんきゅう)の銅人(どうじん)を移させた地でもある。史書(ししょ)によれば、漢の武帝(ぶてい)はかつて建章宮(けんしょうきゅう)の前に銅人を鋳造(ちゅうぞう)し、手に銅盤(どうばん)を捧げて露(つゆ)を承(う)け、これを「承露盤(しょうろばん)」と名付けた。この露を玉屑(ぎょくせつ)と和(わ)して服すれば、長生(ちょうせい)を得られると言われた。数百年後、魏の明帝は銅人を洛陽へ移すよう命じたが、運搬途中、銅人が重すぎるという理由で灞水(はすい)のほとりに捨て置かれた。伝説によれば、銅人は載(の)せられる寸前、涙を流したという。
李賀は歴史の廃墟(はいきょ)に立ち、すでに見えなくなった銅人の方向を眺めながら、心中に湧き起こったのは二重の悲哀(ひあい)であった。一重は漢の武帝——あの「秋風の客」、かつては一世を風靡(ふうび)したが、最終的には茂陵(ぼうりょう)の一掬(いっきく)の土に過ぎなかった。もう一重は金銅仙人(きんどうせんにん)——強制的に移された銅人、故国(ここく)への眷恋(けんれん)を担(にな)いながら、「酸風眸を射る」中で暗然(あんぜん)として去るほかなかった。そして彼自身、いったい別の意味での「漢に辞す」人ではなかったのか?辞別するのは長安であり、功名(こうみょう)の幻夢(げんむ)であり、もはや帰ることのできないあの青春であった。「天若し情有らば天も亦た老いなん」——この七字は、銅人のために書かれたものであると同時に、自らのためにも書かれ、古(いにしえ)より今に至るすべての時(とき)に捨てられた生命のために書かれたのである。
首联:「茂陵刘郎秋风客,夜闻马嘶晓无迹。」
Mào líng Liú láng qiū fēng kè, yè wén mǎ sī xiǎo wú jī.
茂陵の劉郎秋風の客、夜に馬嘶を聞けば暁に跡無し。
筆を起こすに「劉郎」と、武帝ではなく称し、一世の雄主(ゆうしゅ)を凡人の列に引き戻す。彼は帝王であると同時に「郎」であり、ついには秋風に巻き去られる客でもある。「夜聞馬嘶暁無跡」は想像上の霊異(れいい)の場面をもって、その魂魄(こんぱく)が夜、旧地(きゅうち)を巡り、夜明けとともに散り行く様を書く。この馬の嘶(いなな)きは、歴史のこだまであり、詩人の内心の幻聴(げんちょう)でもある——盛世(せいせい)はすでに往事(おうじ)となり、英雄はすでに塵土(じんど)となった。
颔联:「画栏桂树悬秋香,三十六宫土花碧。」
Huà lán guì shù xuán qiū xiāng, sān shí liù gōng tǔ huā bì.
画欄の桂樹秋香を懸け、三十六宮土花碧し。
この聯は「懸秋香」と「土花碧」とで強い対照をなす。桂樹は年々花を咲かせ、香りは相変わらず、あたかも時間がここで停滞しているかのようだ。しかし三十六宮は、すでに人去(じんきょ)りて楼(ろう)空(むな)しく、苔(こけ)が一面に生い茂り、荒涼(こうりょう)たる有様である。「懸」の字は香気(こうき)の凝滞(ぎょうたい)を書き、「碧」の字は苔(こけ)の冷寂(れいじゃく)を書く——繁華(はんか)と荒涼(こうりょう)が、このように同じ画面の中に並置されている。
颈联:「魏官牵车指千里,东关酸风射眸子。」
Wèi guān qiān chē zhǐ qiān lǐ, dōng guān suān fēng shè móu zǐ.
魏官車を牽きて千里を指し、東関酸風眸子を射る。
この聯は漢宮から銅人へ、静景から動景へと転じる。「牽車指千里」は銅人が強制的に移される運命を書き、一つの「指」の字が、前途(ぜんと)の渺茫(びょうぼう)さと抗(あらが)い難さを書き出す。下の句「酸風射眸子」は擬人法(ぎじんほう)をもって銅人の痛みを書く——あの風は本来無情(むじょう)の物であるが、銅人の悲しみによって「酸」となり、まっすぐに双眸(そうぼう)へと射る。「射」の字は力強く、「眸子」は情を含む。銅人の涙の意(い)を前もって引き出す。
第四联:「空将汉月出宫门,忆君清泪如铅水。」
Kōng jiāng hàn yuè chū gōng mén, yì jūn qīng lèi rú qiān shuǐ.
空しく漢月を将りて宮門を出づ、君を憶えば清涙鉛水の如し。
「空将漢月」の四字は、銅人が宮を出る時の唯一(ゆいいつ)の相伴(あいともな)いを書き出す——かつて漢宮の繁華を見たあの月だけが、相変わらず従(つ)き従う。下の句「憶君清涙如鉛水」は全詩で最も奇抜な比喩(ひゆ)の一つである。鉛(なまり)は、重く、冷たく、暗い。まさに銅人の材質(ざいしつ)と心境に合う。「清涙」と言って「鉛水」とは、銅人の身分に符合(ふごう)すると同時に、悲痛(ひつう)を物質化、具象化(ぐしょうか)し、形のない涙に触れることのできる重みを与える。
第五联:「衰兰送客咸阳道,天若有情天亦老。」
Shuāi lán sòng kè Xián yáng dào, tiān ruò yǒu qíng tiān yì lǎo.
衰蘭客を送る咸陽道、天若し情有らば天も亦た老いなん。
この聯は別離の場面を咸陽古道(かんようこどう)に置き、「衰蘭」を見送る者とし、いっそう荒涼さを添える。そして「天若し情有らば天も亦た老いなん」の七字は、天(あま)を衝(つ)いて現れ、全詩の情感(じょうかん)を極限に押し上げる。天は本来無情であるから、永遠(えいえん)でいられる。人に情があれば、衰え、死に、消え去るのは免(まぬが)れない。この一句は、銅人の悲しみを書くと同時に、詩人の悲しみを書き、さらにすべての情ある人の共通の宿命(しゅくめい)を書く。
尾联:「携盘独出月荒凉,渭城已远波声小。」
Xié pán dú chū yuè huāng liáng, Wèi chéng yǐ yuǎn bō shēng xiǎo.
盤を携えて独り出づる月荒涼、渭城已に遠く波声小し。
尾聯は遠景をもって全詩を収束する。「携盤独出」は前文の銅人が承露盤(しょうろばん)を捧げる形象と呼応(こおう)し、「月荒涼」は月色(げっしょく)と心境(しんきょう)とを一つに融和(ゆうわ)させる。「渭城已遠波声小」は空間の距離をもって時間の流れを書き、音の微弱さをもって情感の消散(しょうさん)を書く。あの次第に聞こえなくなる波の音は、歴史の余音(よいん)であり、詩人の次第に遠ざかる後姿(うしろすがた)でもある。
全体的な鑑賞:
これは李賀の詩の中の神品(しんぴん)であり、また中国文学史上において物をもって情を書き、古(いにしえ)をもって今を喩(たと)える模範(もはん)である。全詩は金銅仙人が漢宮から移されることを主線(しゅせん)とし、歴史の興亡(こうぼう)、個人の身の上、宇宙の有情無情(うじょうむじょう)とを一つに溶かし込み、読めば人の魂(たましい)を震わせ、魄(はく)を動かす。
構造から見れば、 この詩は三つの層次(そうじ)に分かれる。前四句は漢宮の荒涼(こうりょう)と歴史の消逝(しょうせい)を書き、「茂陵劉郎」「三十六宮」をもって引き合いに出し、全詩の歴史的基調を定める。中四句は銅人の別離(べつり)の痛みを書き、「酸風眸を射る」「清涙鉛水の如し」と擬人して情を書き、物と人とを一つに合わせる。後四句は別離途上(べつりとじょう)の景象(けいしょう)と感慨(かんがい)を書き、「天若し情有らば天も亦た老いなん」でもって全詩を昇華(しょうか)させ、「波声小」でもって余韻(よいん)を収束する。三層の間、歴史から個人へ、個人から宇宙へ、層を追って押し進み、境界(きょうがい)は広まり、悲意(ひい)は深まる。
詩の趣旨から見れば、 この詩の核心は「情」と「無情」の対照(たいしょう)にある。天は無情であるから、永遠(えいえん)でいられる。銅人は情があるから、涙を流す。人は情があるから、衰え、死に、別離のために痛む。詩人はこの対照の意義(いぎ)を説き明かさない。ただ両者を並置し、読者に自ら深い悲涼(ひりょう)の味(あじ)わいを得させるだけである。
芸術的手法から見れば、 この詩の最も心を打つところは「擬人」と「象徴」の極致(きょくち)の運用にある。銅人は本来無情の物であるが、最も深沈(しんちん)な人間の情感(じょうかん)を与えられた。漢宮は本来死んだ建築(けんちく)であるが、最も鮮烈(せんれつ)な歴史的記憶(きおく)を与えられた。そして「天若し情有らば天も亦た老いなん」の一句は、さらにこの手法を極致に押し進める——宇宙を情感の範疇(はんちゅう)に組み込み、蒼天(そうてん)を有情(うじょう)の証人(しょうにん)とする。
表現上の特徴:
- 奇抜な想像と擬人法: 銅人を主人公(しゅじんこう)とし、それに「酸風眸を射る」「清涙鉛水の如し」という人間の情感を与え、物と我、古(いにしえ)と今とを一つに融和させる。
- 深遠(しんえん)な歴史意識: 漢をもって唐を喩(たと)え、銅人の遷離(せんり)をもって王朝(おうちょう)の興衰(こうすい)を書き、個人の身の上之感(かん)を宏大(こうだい)な歴史叙事(れきしじょじ)の中に溶かし込む。
- 精錬(せいれん)な言語と独特(どくとく)な意象: 「酸風」「鉛水」「衰蘭」「土花碧」などの意象は、新奇(しんき)であると同時に適切(てきせつ)であり、李賀の詩歌の標識(ひょうしき)的言語となる。
- 強烈な抒情性(じょじょうせい): 全詩、銅人を主人公とするが、いたるところに詩人自身の影(かげ)が見える。あの「君を憶う」の「君」は、漢の武帝であると同時に、詩人の心中にあるすべての再び得ることのできない美しいものでもある。
- 構造(こうぞう)謹厳(きんげん)、情感層(そう)を追って進む: 歴史から個人へ、個人から宇宙へ、層を追って押し進み、最終的に「天若し情有らば天も亦た老いなん」でもって昇華(しょうか)させ、「波声小」でもって収束し、余韻悠長(ゆうちょう)。
啓示:
この詩は、一つの銅像(どうぞう)の運命(うんめい)をもって、人類(じんるい)の最も深い悲哀(ひあい)を語っている。有情(うじょう)なる者は必ず苦しみ、無情(むじょう)なる者は永遠(えいえん)を得る。それは私たちに「情」の代償(だいしょう)を見せてくれる。銅人は「君を憶う」がゆえに涙を流し、別離のために痛む。これらすべては、彼に「情」があるからだ。そして天が老(お)いないのは、まさにそれに「無情」があるからだ。これは宇宙における最も残酷(ざんこく)な法則(ほうそく)である。有情であれば苦しみ、無情であれば久(ひさ)しい。詩人は解脱(げだつ)の道(みち)を示さない。ただこの法則を提示(ていじ)し、読者に自らその味(あじ)わいを得させるだけである。
詩中の「天若し情有らば天も亦た老いなん」の一句は、個体(こたい)の情感(じょうかん)を宇宙的悲憫(ひびん)へと昇華(しょうか)させる。 あの一瞬、銅人の涙はもはや銅人の涙ではなく、すべての有情なる者の共通(きょうつう)の涙となる。天の「老いる」ことはもはや天象(てんしょう)の異常(いじょう)ではなく、宇宙の人間の苦難(くなん)への応答(おうとう)となる。この一句は、詩歌を具体的な興亡(こうぼう)の感(かん)を超越(ちょうえつ)させ、普遍的(ふへんてき)な人類的意義を持たせる。
さらに深く、この詩は私たちに考えさせる。無情(むじょう)の時間の前で、有情(うじょう)の人生(じんせい)はいったいどのような意義(いぎ)があるのか? 銅人はついには移され、漢宮はついには荒廃(こうはい)し、詩人はついには京(みやこ)を離れる。しかし、まさにあの「酸風眸を射る」痛み、あの「清涙鉛水の如し」重み、あの「天若し情有らば天も亦た老いなん」嘆(なげ)きが、これらすべてに温もりを持たせ、重みを持たせ、記憶(きおく)される理由(りゆう)を持たせる。おそらく、これが答えなのであろう。有情であることは苦しいが、それが私たちが生きた唯一(ゆいいつ)の証拠(しょうこ)なのである。を呼び覚まし続けている。立て、外へ出よ。夜明けは目の前にある。
詩人について:

李賀(李贺 790 - 816)、河南宜陽の出身で、中唐の浪漫主義詩人である。唐の宗室の後裔であったが、父の名に触れる避諱のため進士の受験を許されず、生涯にわたって不遇と貧窮の中、わずか27歳で世を去った。その詩は奇抜で冷艶、想像力に富み、しばしば奇怪な趣を持つことから「詩鬼」と称される。『昌谷集』には240余首の詩が収められており、唐詩の中に独自の「長吉体」という一派を創り出した。その影響は李商隠や温庭筠はもちろん、後世の詩歌におけるイメージの開拓にも深く及んでいる。